慈眼寺(じげんじ)
能勢町神山286
境内観音堂の傍らにある宝篋印塔は、花崗岩製で基壇に文和三年(1354)の銘があります。高さ206.7cmの七尺塔で、完全なものとしては能勢町内最大規模。
背後の三草山山頂にあった旧清山寺から移されたと伝えられています。
青荘山松佑寺(せいそうざんしょうゆうじ)
能勢町宿野909
松佑寺は、戦後焼失後この度能勢の地に移転再建されました。各種祈願、祈祷のほか先祖供養などを勤修しております。定例護摩により真言宗、修験道の二つの護摩を修法しています。境内のアカマツは、有名な「三鈷の松」と同じく三本の松葉を見る事が出来ます。大変珍しく縁起の良いものです、是非境内で見つけてみてください。
桂林寺(けいりんじ)
能勢町宿野264
桂林寺は曹洞宗の寺院。
本尊木造釈迦如来坐像は檜材の寄木造で、能勢町唯一の室町時代在銘彫刻。後頭部内に永享八年(1436)の墨書銘があり、制作年代が判明する貴重な作品です。
湧泉寺(ゆうせんじ)
能勢町倉垣1773
木造多宝如来坐像は檜材の寄木造で12世紀の製作で温雅な作品。
また木造大威徳明王坐像も12世紀の作で同種の坐像として大阪府下では最古の遺例です。
近年解体修理を終え、往時のたたずまいを取り戻しました。
本瀧寺(ほんたきじ)
能勢町野間中718
滝を中心に落ち着いた雰囲気の境内と妙見大菩薩・常當大菩薩をお祀りしてある本堂は一見の価値あり。
厄除祈願をはじめ、進学や結婚、商売など開運祈願のほか、先祖供養などを毎日受け付けています。
真如寺(しんにょじ)
能勢町地黄606
能勢妙見山の本院としても知られる真如寺は慶長五年(1600)の建立。梵鐘は鎌倉時代後期、元応元年(1319)の鋳造。もと京都府長岡京市勝竜寺の鐘で、旗本能勢頼次公が大坂夏の陣参陣のおり淀川堤に落ちていたものを持ち帰った。
能勢家関係文書は鎌倉〜室町時代の文書群で中世能勢氏の動向を窺うことができる史料。大阪府下で唯一、日蓮聖人の御真骨を奉安する。
清普寺(せいふじ)
能勢町地黄815
慶長六年(1601)旗本能勢頼次公が父の菩提のため開創しました。
日蓮宗方丈型の本堂としては府内で最も古い本堂をはじめ、能勢家墓所にならぶ巨大な墓石群など近世寺院伽藍の趣を残す貴重な遺構です。
安穏寺(あんのんじ)
能勢町倉垣1170
応和二年(962)に建立された観音堂が安穏寺の開創と伝えられています。
四臂(腕が4本)の十一面観音立像は、わが国に7例しか残っていない貴重な遺品。12世紀の制作と見られ像高106cm。
蓮華寺(れんげじ)
能勢町今西203-5
江戸時代の初め、旗本能勢頼次公によって浄土宗であった光明寺が日蓮宗に改宗され、蓮華寺として開創。
石造五輪塔は鎌倉時代後期中頃の造立。高さ216.4cmの七尺塔で大阪府下屈指の名塔です。
玉泉寺(ぎょくせんじ)
能勢町山辺1438
木造不動明王坐像は檜材の寄木造で、残された墨書から元禄九年(1696)に宝山湛海の作であることがわかっています。
木造薬師如来坐像は11世紀前半の作と見られる優れた一木造の像。
長杉寺(ちょうさんじ)
能勢町天王441-1
長杉寺は、その前身である地蔵院が焼失し、寛永十七年(1640)移転再建され長杉寺になりました。
山裾を巧みに利用し立体的変化に富む庭園は、山間地には数少ない近世初頭の禅宗様枯山水庭園の遺例として貴重です。